ジンです。
少し迷いましたが、今回はこの話、この人の話を。
今回だけはどうしても低めのテンションになってしまいますが、今後も特に書きたい話がない週なんかは誰かしらの紹介、思い出話を書いていこうかなと。
以下本文。
今回は小見出しは無しにしておきます。
『すこやかヒゲラウ』という福島の超ベテランラウ使い。
全国大会にも数度の出場経験もあり、全国大会優勝!などのわかりやすい肩書きは無いものの、VF2から続くたくさんのシーンで名勝負を演じてきた往年のベテラン。自分の知っている中で一番有名な話だと、「VF3tb時代、3年間大会無敗だった”Mr.パーフェクト”闇よだれの連勝を止めた」話。先日またいろんな話を聞いて、他にも意外とたくさんのところで、数々の強豪を倒していた。
…その分大会に参加して、その分たくさんの人に負けた話もあったケド。
何が言いたいかというと、ただ”強い”プレイヤーではなく、バーチャファイターがとにかく好きで、とにかくシリーズをやり続けてきたプレイヤー”だった”んだよ、という話。
なぜ”だった”か。
先日、そのヒゲさんが急逝した。
葬儀に参列させていただいて、帰りの新幹線の中で書いているけど、まだ実感がない。
これはいつかの哲子の部屋チャンネルの配信で『10連勝するまで帰れま10』というイベント配信をやった際のアーカイブ。
年上なんだけど、ちょいちょいふざけるかわいいおじさんで、自分ら若造に冷やかされたりしても怒ったりせず、いつも周りを和ませる、優しくて、なんというか”癒し系”なおじさんでした。
僕も本当に大好きだった。
僕自身、よく話すようになったのは実はVF5後期の話で、妻の実家がある山形に帰省した際、遊びに来てくれてた頃からかなと思う。山形のレジェンド『エージェント東』と長いライバル関係だったヒゲさんは、福島からよく遊びに来てくれた。
「僕遊びにいくから対戦しましょ!」ってゲーセンに行ってみたら、ふたりが対戦していて、負けがこんでいる方が顔真っ赤にしながら対戦していて、どかない、なんてこともよくあった。
ゲーセン閉店まで対戦したその後も『閉まったゲーセンの前でだらだら駄弁る』というゲーセンおじ往年のベタムーブをしていたのだけど、その時も普通に話していたと思ったら急に二人にスイッチ入って顔真っ赤にした口喧嘩が始まったりね…。
もうなんだかんだ7、8年前かもしれないけど、まだまだその光景が記憶にしっかり残っている中で、ヒゲさんが亡くなったって聞いた後、東さんのXでの投稿を見て泣けてきた。本当の”喧嘩するほど仲が良い” “ライバル”だったんだなあって。
何ともないと思ってましたが、お顔を見た瞬間に泣き崩れてしまいました。
— エージェント東 (@ezyent) April 15, 2024
19日の葬儀で本当のサヨナラをしにまた行きます。
ちんとんのカツ丼を最後に添えてやりたい。
またよろしくお願いします。
ヒゲラウさん
話は戻って、ヒゲさんと話すようになったのはその頃だと思うのだけど、実際に”仲良くなれた”のはコロナ禍でゲーセンに行けなくなり、オンラインでバーチャの対戦をするようになってから。
山田哲子さんが作ってくれたDIscordのVFサーバーに毎夜集まり、ゲームもするけど雑談もする、暇だから話す、みたいな時間もたくさんあった。この時もみんながどれだけ冷やかしたりしてもヒゲさんは怒ったりしなかった(本当は怒ってたかも)。
話をしているうち、ヒゲさんとは、
- 誕生日が一緒
- 僕の奥さんとヒゲさんの奥さんの誕生日も一緒
- ヒゲさんが飼ってる猫の名前は、僕の奥さんのあだ名
なんてことがあり、妙な縁みたいなものを感じてた。柔らかいヒゲさんと自分の尖った性格だと似ても似つかないけれど、素晴らしい奥様に見守られつつ、自由に趣味に没頭できているところは一緒かも。
ああそうだ、他にも僕の母方の実家も福島。なんだか話していて癒やされるように感じるのもそのせいかもしれない。
と思ったけどみんな同じかそれは。みんなに優しかった。
『バーチャファイター』を本当に愛しているプレイヤーだった。
2月に開催された公式大会も来たがってたなあ…。
その時に「都合がつかなくて行けなくなっちゃった」というLINEを貰ったのが最後。
1月にDiscordでふたりで話したのが最後になってしまった。
特徴のある声と訛りで、今も耳に残ってる。
まだ、かなしい。
今回のサムネイルにもしたこの写真は、去年の7月、名古屋で行われた5on5大会で組んだ時、前日飲みの後に撮った写真。
左上から、ヒゲラウ、僕、ポメタロウ、左下、ジュリエッタ紗羅、伊藤カイジ系ともや。
急に行くことを決めて、急に誘ったヒゲさんもわざわざ福島から来てくれて、みんなが活躍して、本当に楽しい大会だった。
ヒゲさんも「本当に楽しかった、来てよかった」と言ってくれて、自分も誘って良かったと思った。
「また出ようね」って言ったのに…。
すごく寂しい。
けど、自分よりも全然古く、ずっと一緒にやってきた東北のプレイヤー達、ラウ使い達はもっともっともっと寂しいと思う。
今後もし『バーチャファイター』の新作が出たりしたら、絶対自慢しにいってやろう。
多分世界で一、二を争うくらい、新作を待っていたはずだから。
なんだか上手くまとめられないけど、勢いで書けたのはこんなところ。
とにかくバーチャが大好きで、全国のプレイヤーに愛されていたラウ使いがいたんだよ、って話。
あんなに全国のプレイヤーから悲しまれて、あんなにたくさんのバーチャファイターが参列した葬儀なんてないと思う。
僕達古参のゲーマーも、みんなイイ歳になってきました。
これからまたこんな話もあるかもしれない。
この記事を読んでくださった方、みんな身体は大事にしましょうね。
おかしいと思ったら病院行くなり救急車呼ぶなり、とにかく無理しない。我慢しない。
周りだって何があるかわからないから、後悔はないように。
ある意味、最後に大会一緒に出れて良かった、と今になってすごく感じています。
はあ、とは言ってもまだまだ話したかったし一緒にゲームしたかったなあ。
またいつか遊んでね、ヒゲさん。
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